作文する時に悩むのが冒頭分やリード文の書き方だ。これから説明する物事の核心となる部分を冒頭に書いてしまうか、それとも時節に触れてからスルッと本題に入っていくか……。あるいはカギを使って印象的に始めるか、それはあざといから普通に書こうかなど、いずれにせよ悩みがつきないものだ。
そんなときには、他の書き出しを参考にしたくなるときがある。これから紹介するのは小説の書き出しなので、実質的に役に立つのかは少々の疑問が残るが、一つの参考にはなると思う。
読者を引き込む小説の書き出し
坂口安吾 「いずこへ」
私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。もっともそれは注意を集中しているという意味ではないので、あべこべに、考える気力というものがなくなったので、耳を澄ましていたのであった。
坂口安吾 「桜の森の満開の下」
桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
坂口安吾 「太宰治情死考」
新聞によると、太宰の月収二十万円、毎日カストリ二千円飲み、五十円の借家にすんで、雨漏りを直さず。
坂口安吾「堕落論」
半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
小林多喜二 「蟹工船」
「おい地獄さ行えぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱かかえ込んでいる函館の街を見ていた。
梶井基次郎 「桜の樹の下には」
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
太宰治 「人間失格」
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
太宰治 「走れメロス」
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
太宰治 「斜陽」
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽かな叫び声をお挙げになった。
夏目漱石 「吾輩は猫である」
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
夏目漱石 「坊っちゃん」
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。
夏目漱石 「草枕」
山路を登りながら、こう考えた。
福沢諭吉訳 「学問のすすめ」
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
司馬遼太郎 「峠」
雪が来る。
もうそこまできている。あと10日もすれば北海からの冬の雲がおおい渡って来て、この越後長岡の野も山も雪でうずめてしまうにちがいない。
田山花袋 「蒲団」
小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠は考えた。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実だろうか。あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」
二葉亭四迷 「平凡」
私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ。
森鴎外 「雁」
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
芥川龍之介 「鼻」
禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。
有島武郎 「或る女」
新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴が、霧とまではいえない九月の朝の、煙った空気に包まれて聞こえて来た。
有島武郎「一房の葡萄」
僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。
宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。
宮沢賢治 「永訣の朝」
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
横光利一 「機械」
初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。
林芙美子 「浮雲」
なるべく、夜更けに着く汽車を選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀の町で、一日ぶらぶらしてゐた。
どんな書き出しに魅力を感じるかは十人十色といえる。他の方々が惹かれた書き出しも紹介してみたい。
まだまだある、魅力的な書き出し
村上春樹 「海辺のカフカ」
「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」とカラスと呼ばれる少年は言う。#美しいと思う小説の一行目
— やすたけ てるなが (@onatake2002) 2018年3月2日
皆川博子 「文月の使者」
「指は、あげましたよ」 #美しいと思う小説の一行目
皆川博子「文月の使者」
— 高野 (@takano0223) 2018年1月12日
宮沢賢治 「よだかの星」
よだかは、実にみにくい鳥です。
宮沢賢治『よだかの星』
— 書店『霊幻堂』bot@営業中 (@re_gendo_) 2018年3月8日
綿矢りさ 「勝手にふるえてろ」
とどきますか、とどきません。
光りかがやく手に入らないものばかり見つめているせいで、すでに手に入れたものたちは足元に転がるたくさんの屍になってライトさえ当たらず、私に踏まれてかかとの形にへこんでいるのです。#美しいと思う小説の一行目— お ひ な (@nooon_yes) 2018年3月8日
大崎善生 「パイロットフィッシュ」
人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。なぜなら人間には記憶という能力があり、否が応にも記憶とともに現在を生きているからである。 #美しいと思う小説の一行目
— 忘れられないコピー (@copywriting21) 2018年3月8日
太宰治 「駆込み訴え」
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
太宰治『駆込み訴え』
— 書店『霊幻堂』bot@営業中 (@re_gendo_) 2018年2月25日
まとめ
小説の魅力的な書き出しを紹介してきた。紹介したものは青空文庫でも読めるものが多いので、気になったらぜひ検索して読んでみてほしい。
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