人間、本当に好きなことはできない? 逃げてしまう心理とは

ライフハック

人間、本当に好きなことからは本能的に逃げてしまうようだ。

 

本当に好きなことができない。言葉の差異はあるにせよ、似たような言葉でググるとヒットするのは「臆病にならずに好きなことしよう!」みたいな毒にも薬にもならない自己啓発的なことばかり出てくる。

もちろん、そんなことが知りたいのではない。

好きなことはあっても、なぜか「いつかやる」「まだ時期じゃない」あるいは「好きなのになぜだか一歩踏み出せない」といった気持ちがある。それはなぜか。

どうやら、人間だか日本人だかはわからないが、本当に好きなことからは逃げてしまう習性があるらしい。

では、なぜ逃げてしまうのか。それは自己防衛という。

 

自己防衛とは自分が傷づかないよう、あれやこれやと策を練ることだ。本当に好きなことをすると傷ついてしまうと思っているというのだ。なるほど、これは納得の行く話。

例えば、自分が役者になりたいとする。もちろん「自分が役者になんてなれっこない」、「役者で食っていけるのなんて一握り」なんて気持ちが去来する。が、よくよく考えてみれば、役者も千差万別、どんな人間が役者になれるのなんて誰にも、ましてや自分にも判断のつきようがない。

とはいえ、現実的に考えれば役者というパイの少ない職業に就こうとするリスクは、市井のサラリーマンになるよりもある。が、そんなことはさておき、ひとまずチャレンジしてみれば良いだけの話。どうなるのかはわからない。つまり、思い描いていた舞台に立てるかもしれないが、立てないかもしれない。誰にも分かりはしない。

とはいえ、将来に対する不安はあるだろう。だったら、期限付きにでもしたら良い。

 

チャレンジする猶予(年齢、時間、お金)というのは解決できる。一年間程、チャレンジしたければ100万から200万ほどの貯金をしておけば良いし、貯金なんてない今すぐチャレンジしたいというのなら、消費者金融に行けば一年間、無収入でも暮らせるだけのお金は貸してくれる。夢破れたときに2,300万の借金なら普通に働いていたら2、3年で返せる。どうしても、無理になったら、法的に整理することが許されているのだから整理してしまえば良い。それが嫌というのなら、アルバイトでもしながら夢を追いかければ良い。もっと言ってしまえば一度は底を経験してみるものだ。そこから何も得られなかったとしても。

 

閑話休題。話を戻すと、なぜ好きなことができないのか、だ。前述した通り、やろうと思えば時間やお金はどうとでも工面できる。では、なぜ一歩踏み出せないのか。それは、前述したような将来的な不安がどうしても拭えないからというのもあるようだが、それとは別に自信を失いたくないからというのがあるという。

 

これまで学生時代に、国語、算数、理科、社会などとテストを受けてきた。自分よりもできる人間は腐るほどいた。が、別に傷つきやしない。これが、本当に好きなことならどうか。自分よりも圧倒的に絵のうまい奴がいた、ぐうの音も出ないほど演技のうまい奴がいた、才能を見せつけられた。そんな経験をして、自分のアイデンティティーが崩れ去るのが怖いというのだ。つまり、本当に好きなこととは、文字通り、自分の最後のアイデンティティーであって、それが打ち砕かれてしまうと、何を拠り所に生きてよいのかわからなくなってしまうという。だから、最後の最後までとっておきたい。自信を失うのが怖いから本当に好きなことへの挑戦ができないというのだ。

事実、現代まで名を残している小説家、坂口安吾も、小説家になるまえは代用教員として働いており、「本当は小説家になりたかったが、自分にはなれないと思っていた」と記している。

 

では、どうすれば本当に好きなことができるのか。

というより、もう答えは出ているような気がする。つまりは、やるかやらないかの二択でしかないのだから、何がどうという問題でもない。強いて言えば、「人間だか日本人の多くは、本当に好きなことからは防衛本能で逃げてしまうものだ」ということを踏まえることが肝心といえる。わかった上で、迎合するか、「まぁ一度くらいは」とちょっと小脇に逸れて一人で歩いてみるか、でしかない。

そこで才能がなく打ちのめされたとする。が、好きなのだから仕方がない。それをするより、生き方がないのだ。

一大決心する必要もない。役者になりたければ今すぐにでも劇団に電話してみれば良いし、純文学の小説家になりたければ、その類の同人誌を探して連絡を取ってみたら良い。何か大きなことをするのではなく、ぬるっとその環境に入ることが先決だ。あとは、環境が自分を後押ししてくれる。というか、各々の夢の叶え方は、もうすでに気付いているはずだ。

一歩踏み出しても、しかし、続けるのはしんどい。思っていたものではなかった、やはり才能がなかったなどとあらゆる言い訳がよぎる。しかし、好きなことをやっていようがいまいが、悩む人間は悩むし、楽観的な人間もいる。続けるのはしんどいが、始める前の漠然とした状態よりも、解決策が具体的に見えてくるだろうからやりようはある。そこからは己の力量次第だ。

好きなことが見つからない向きもあるという。が、それは嘘だ。社会的な評価が得られないから、あるいは、到底無理だと自分で思い込んでいるだけではないだろうか。「人生は棒に振ってこそ」といった著名な演出家もいる。そこまで突き詰めなくてもよいが、長い人生、数年くらいは好きに生きても良いのではないだろうか。

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