鼻緒が切れるとなぜ縁起が悪いのか?由来は昔の葬儀「野辺送り」

日本には古くから言い伝えられている風習や縁起がある。今回の「鼻緒が切れると縁起が悪い」というのもその一つだ。縁起というのは吉凶の前兆のことをいう。つまり、縁起が悪いというのは、凶兆、これから悪いことが起こりそうというわけだ。

しかし、なぜ、草履や下駄の鼻緒が切れただけで、昔の人は良くないことが起こりそうだと思ったのだろうか。実際に歩いている最中に鼻緒が切れたら、つっかけて歩けないから不便というのは分かるが「ハッ!何か不吉なことが起こりそうだ!」というのは何とも奇妙な話だ。だが、事実、先人たちは悪い事の前触れとして感じていた。例えば、芥川龍之介の小説「子供の病気――一游亭に――」にはこんな一節が出てくる。

家を出た時はまっ暗だった。その中に細かい雨が降っていた。自分は門を出ると同時に、日和下駄をはいているのに心づいた。しかもその日和下駄は左の前鼻緒がゆるんでいた。自分は何だかこの鼻緒が切れると、子供の命も終りそうな気がした。――芥川龍之介「子供の病気――一游亭に――」

小説家で児童文学者でもある鈴木三重吉もこう書いている。

丘を上る途中で、今朝買わせたばかりの下駄だのに、ぷすり前鼻緒が切れる。元が安物で脆弱いからであろうけれど、初やなぞに言わせると、何か厭なことがある前徴である。しかたがないから、片足袋ぬいで、半分跣足になる。――鈴木三重吉「千鳥」

いずれにせよ、良くないこととして書かれている。なぜ、鼻緒が切れることが悪い事の前兆なのだろうか?

鼻緒が切れると縁起が悪いのは、葬式に由来している

江戸や明治時代の葬式と現代の葬式とでは、少し異なる点がある。その代表的なものの一つに、「野辺送り」というものがある。「野辺の送り」、「葬列」、「渡御」とも呼ばれ、墓地や火葬場まで、参列者が列をなして棺桶を送り届けることを指す。大正や昭和の時代に告別式が出てくるまでは、葬儀の主な儀礼となっていたようだ。現在では、霊柩車を使うことが多くなり、本格的な野辺の送りや葬列を見ることは少なくなった。

さて、この野辺送りのときには、参列者に新しい草履が渡されたのだという。参列者たちは、その草履を履いて、墓場まで棺桶を運んでいく。そのとき、各人のふところには、いつも使っている草履が入っている。

そして、葬式が終わると参列者たちは、そこまで履いてきた新しい草履の鼻緒を切ってから脱ぎ捨て、いつも使っている草履に履き替えて家路に着く。これは、墓場にいる魔物が捨てた草履を履いて外に出てくるのを防ぐため、あるいは、埋葬した霊が草履を履いて戻ってくるのを防ぐためだったという。

つまり、鼻緒が切れたときには、野辺送りの鼻緒を切る風習を連想してしまうから、縁起が悪いとされていたのである。

ちなみに、魔物や霊が付いてこないよう、鼻緒を切るだけでなく、埋葬に捨てたクワを捨てたり、帰り道は行き道と道順を変えるといった風習も行われていたそうだ。

さいごに

鼻緒の迷信だけでなく、ご飯にお箸をさしてはいけないというのも、お葬式時に備えるご霊前を連想させるから縁起が悪いとされている。現代でも「4」は「死」をイメージするから縁起が悪いといわれている。いずれにせよ、「死」を想起するものは今も昔も遠ざけたいもののようだ。

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