セーフティーネットとしてのブログについて

真面目な人は極端に走る

大学全入時代の今、四大を出て就職をしてというのが大勢という。

いつの時代にも落ちこぼれてしまう人はある。人間、千差万別で堕ちていく道筋も十把一絡げに論じられるものではないが、その中でも一つのパターンのようなものがあるように思う。

その一つが大学を出て就職をして、挫折してどうでもよくなって、落ちる方に振り切って落ちるところまで落ちてしまうコースだ。

小学校、中学校、高校、大学とグレるクラスメイトを横目に「そんなことをしたら将来どうなるのか」と、将来に対する漠然とした不安を担保に着々と進んでいった人間が、社会に出て一度ドロップアウトしてしまうと、これまで培ってきたものがポキリと折れてしまったようで、別の道を模索するようになることがある。

これまで真面目に真面目に生きてきただけに、真面目に別の道を模索してしまう。軽い気持ちで、「まぁ、こんなこともあるっしょ。にんげんだもの」とカラッと切り替えて別の就職口探しでもすれば良いものの、育んできたプライドか、一廉の人間にならなければという向上心からか、楽観的な考えにはなれない。

真面目であるがために真面目に堕落の道を進んでしまうケースがあると思うのだ。事実、住居を持たない人と話すと、何か一つの潔癖を持っていることがケースがある。

良し悪しはないだろう。そのまま一昔前でいうデカタンスを謳歌するのもまた一つの生き方。が、頑是ない頃から真面目に生きてきただけに、中途で、例えば生活がいよいよ困窮してきたタイミングで「あれ? 来月も仕事のあてがないし、いよいよヤバイぞ?」となり、何かしようと動き出してくる。そのときにブログを立ち上げるという選択肢を持っても良いと思うのだ。

アウトプットする喜び

無論、何かをするには遅すぎるタイミングだ。ブログを立ち上げてすぐにご飯を食べていけるだけの収益が入るとは思えないし、長年やっていても微々たるお金しか入らないこともある。

しかし、これまで頑張ってきた人間が何の功績も残さずに消えていっていいものなのだろうか。理解はされなかったかもしれないが、これまで自分なりに頑張って生きてきたのではないだろうか。

そんな痕跡を残せるのがブログだ。誰からも見られないブログはないだろう。必ず誰か一人は自分が書いたものを見る。自分のあずかり知らないところで誰かが自分の考えを見てくれるのだ。それは堕落してきた人間にとっては、考えられないような大きな一歩のように思う。それだけでもブログを立ち上げる価値はある。

これが、最後のチャンスだと一踏ん張りすれば、幾ばくかの収益が入ることもある。繰り返しになるが、経済の論理から自分が書いたものが無価値と判断されれば、収益が入らないこともある。加えて時代の情勢やSEOにも左右される。

しかし、それは仕方のないことだし、しゃにむに頑張ってもしっぺ返しに合う場合もあるということはもう知っているように思う。

足りなかったのはアクションではないだろうか。継続するのはけっこうしんどい。が、持ち前の生真面目さが発揮されるポイントでもあると思う。あれこれ先のことは考えず、ブログを始めて見る。何かのきっかけになるのではないだろうか。

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