タコほど摩訶不思議な生物は珍しい。生物学上の分類は軟体動物門の頭足綱。この「頭足」というのは頭から足(触腕)が生えてまっせ~という意味であるから、その時点でもうおかしい。さらにぼよんとした一見、頭に見える部位は胴体で、頭は足の付け根部分(目や口があるところ)というから、人間で言えば腰のあたりに顔面がめり込んでいる状態になるので、もはや物の怪のたぐい。さらに、心臓を3つも持っている。ラスボスかな? 通常の心臓とは別に左右のエラの血液を循環させる「エラ心臓」というのが右と左に一つずつあるらしい。血液は青色(ヘモグロビンではなく銅を含むヘモシアニンが血液中に含まれているから)。漏斗という器官から墨を吐くのが有名だが、深海に住むタコは墨袋が退化している種もいるという。理由は、深海が暗すぎて墨を吐く意味がないから。ここだけは可愛いんですね。
さらに道具を使う(ココナッツの殻で身を守っていた)ことが科学雑誌に取り上げられるなど、知能が発達していることでも知られており、一部の研究者いわく最も頭の良い無脊椎動物とも言われている。
こうした奇妙な生態や知能から、隕石と共に地球にやってきた生物ではないかと、大真面目な論文が発表されたこともあった(根拠がないと多くの反論があったが)。
そもそも本当にタコは自分の足を食べるのか?
さて、前置きが長くなってしまったので本題に移りたい。「タコはなぜ自分の足を食べてしまうのか?」という問題を解いていきたい。まずは、そもそもタコは本当に自分の足を食べるのか? というところから検証していきたい。
国立衛生研究所の米国国立医学図書館(アメリカ政府が管理している医学図書館)に記録されている「Mechanisms of wound closure following acute arm injury in Octopus vulgaris」(簡単に言えばマダコの触腕が再生するメカニズム)という論文には以下の記述がある。
Octopuses are also known to remove arms by autophagy if they become trapped or damaged, and some species ( Abdopus aculeatus , Ameloctopus litoralis ) are able to autotomize their arms if traumatised.
Mechanisms of wound closure following acute arm injury in Octopus vulgaris より引用
訳すと「タコは閉じ込められたり傷付けられると、自食によって腕を切ることも知られており、ウデナガカクレダコなどの一部の種は、傷を受けた時に腕を自動で切り離す」となる( 文中にあるautophagyは、多くの場合、細胞の新陳代謝や栄養源を確保するための機能を指すことが多いが、 ここでは自食のことを指している)。つまり、タコは本当に腕(足)を本当に自分で食べてしまうのだ。
ちなみにわざわざ論文を引っ張ってこなくても、日本には「蛸は身を食う」ということわざもある。これは、蛸が空腹になった時に自分の足を食べてしまうという言い伝えから、転じて自分の財産を食い潰してしまう意味。よく似た言葉で証券界では「タコ配」あるいは「タコ足配当」という用語もある。これは業績が振るっていないにも関わらず株主を安心させるために配当金を出すこと、あるいは投資信託などで、基準価格(株で言えば株価)は目減りしているにも関わらず、分配金を出すことである。脱線ついでにいえば、詩人の萩原朔太郎は「死なない蛸」という散文詩で以下のように書いている。
どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
『宿命』 萩原朔太郎 から引用
では、なぜ自分の足を食べるのか
さて結論を出したい。タコが自分の足を食べてしまうのは、「蛸は身を食う」ということわざ通り、①腹が減っていたからという説と②蛸壺などの狭いところへ閉じ込められたストレスでヒステリーを起こしたから、という説がある。確かに上述したオートファジー(自食ではなく細胞の機能の方)の役割の一つに飢餓状態における栄養の確保というのがあるらしいが、それはあくまで細胞単位の活動であって一個体が自食によって栄養を確保するというのは、生存メカニズムとして安直すぎる気がする(100%否定はできないが)。ストレス説は、調べてみてもそれを立証するものは見当たらなかったし、わからないことは何でもストレスにしてしまおう的な論調を感じる(同じく100%否定はできないが)。どちらも否定はできないが、下記の説の方が説得力があるのではないだろうか。以下は南アフリカ海洋科学ジャーナルに掲載された「Autophagy in Octopus」という論文だ。
This paper is based on 161 cases of autophagy in Octopus vulgaris . Although the data are still limited, they indicate that autophagy is not caused by hunger or stress, but is an infectious, deadly disease. Incubation time is between one and two weeks; death occurs 1–2 days after autophagy starts. Some data suggest that autophagy is caused either by a (so far unknown) substance released by the animal itself or, more likely, by viruses or bacteria; these, in turn, seem to affect the nervous system. Stress (often thought to be the reason for autophagy) may contribute to it but it is not its primary cause.
「Autophagy in Octopus」より引用
訳すと「この論文は、マダコが自食をする161ケースに基づいている。限られたデータではあるが、それらのデータは、飢えやストレスによって引き起こされるのではなく、自食は、伝染性の致死的な疾患であることを示している。潜伏期間は1~2週間。自食が始まってから1、2日後に死に至る。いくつかのデータは、 動物自体から放出された(これまで知られていなかった)物質かウィルス(こちらの方が可能性が高い)によって引き起こされることを示している。これらは神経系に影響を与えるようだ。多くの場合において自食はストレスが原因と考えられているが、寄与することはあっても、それが主な原因とはならない」
つまり、タコが自分の足を食べてしまうのは、神経系の疾患というわけである。こっわ。上記の①と②の説よりもこちらの説のほうが信憑性があるだろう。
さいごに。自分で食べた足は消化しないのか。そして再生しないのか
自食した足は自分では消化できないという説がある。そのもっともらしい理由として、タコはもともと消化機能が弱く、タコの身自体も固く消化しにくいため、胃袋の中に残ってしまうというものだ。しかし、タコは普通に共食いをする。養殖する際の一般的な注意事項であるし、コモンシドニーオクトパスというタコは交尾が終わったあとメスがオスを食べてしまうこともある。頻繁に共食いする種がその身を消化できないということは考えにくい。
マダコには再生能力がある。これは形態観察で実証されている。なんでも、足を切断してから数日中には目で見て再生が認められるようになるんだとか。実際に、切れたところから小さい足が生えてきているのを見た人もいるかもしれない。しかし、こと自分で食べた足に関しては、もう二度と生えてこないという噂がある。おそらく、これは上に示した「 Autophagy in Octopus 」の論文に答えがあるだろう。自食するようになったタコは致死性の疾患にかかっており、その影響で再生能力が低下している、あるいは再生する前に死んでしまう、というのが答えではないだろうか。
タコについて長々と書いてしまったが、この雑学は一生に一度、役に立つかどうかだろう。そういうのがお好きな方は「蟻を食べるとなぜ酸っぱい味がするのか」もご覧頂きたい。もう一つ、いらぬ雑学が増えるでしょう。
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