時代劇に登場する、屈強な侍たち。
浮世絵に描かれた、しなやかな江戸美人。
我々が歴史の中にイメージする、かつての日本人の姿。
しかし、もし、あなたがタイムスリップして、江戸時代の街角に立ったとしたら、おそらく最初の感想は、こうなるだろう。
「えっ…みんな、なんて小さいんだ!?」
そう、我々の祖先である江戸時代の人々は、現代の我々と比較して、驚くほど小柄だった。
その平均身長は、男性で約155cm〜157cm、女性で約143cm〜145cm。
これは、現代の小学6年生の男女の平均身長と、ほぼ同じなのである。
「なぜ、昔の日本人は、これほどまでに小さかったのか?」
「戦国時代の屈強な武将たちも、実は小柄だったって本当?」
「一体、何を食べたら、そんなに小さくなってしまうのか?」
この記事は、そんな「昔の日本人の身体」に隠された、壮大な謎を、最新の歴史学と科学的研究に基づき、日本一分かりやすく、そして面白く解き明かす、決定版の解説書である。
- 第1章:【衝撃のデータ】江戸時代の平均身長は155cm!縄文人や、現代の北朝鮮よりも低かった驚愕の事実
- 第2章:【最大の原因】犯人は「米」だった?肉を食べない、究極の“菜食主義国家”の食卓
- 第3章:【栄養学の結論】なぜ「脚気」が江戸の国民病だったのか?白米がもたらした、ビタミン不足の悲劇
- 第4章:【時代の逆行】なぜ戦国時代より、平和な江戸時代の方が身長が低くなったのか?
- 第5章:【身長回復の歴史】黒船来航と“牛乳”。明治維新がもたらした、日本人の肉体改造
この記事は、単なる歴史の豆知識ではない。
それは、「食」というものが、いかに我々の肉体を、そして国の運命すらも形作ってきたかを物語る、壮大な「栄養史ドキュメンタリー」なのだ。
さあ、時を超えて、我々の祖先の食卓を覗きに行こう。
第1章:【衝撃のデータ】江戸時代の平均身長は、縄文人よりも低かった
まず、我々が向き合うべき、驚愕の事実から見ていこう。
そのデータは、全国各地から出土した、江戸時代の人骨の「大腿骨」の長さを計測し、そこから身長を推定するという、古人骨学の手法によって、科学的に明らかにされている。
【時代別・日本人男性の平均身長の推移】
時代 | 平均身長(男性) | 現代との比較 |
縄文時代 | 約158cm | 小学6年生〜中学1年生 |
弥生時代 | 約161cm | 中学2年生 |
古墳時代 | 約163cm | 中学3年生 |
鎌倉時代 | 約159cm | 中学1年生 |
室町時代 | 約157cm | 小学6年生 |
江戸時代 | 約155cm | 小学6年生 |
現代 | 約171cm | – |
このデータが示す事実は、衝撃的だ。
- 江戸時代は、歴史上“最も”背が低い時代だった:
驚くべきことに、江戸時代の人々の平均身長は、米作りが始まる前の、狩猟採集民であった「縄文人」よりも、約3cmも低い。 これは、歴史の大きな謎の一つである。 - 弥生〜古墳時代が、意外なピークだった:
日本の歴史上、平均身長が最も高かったのは、実は古墳時代の約163cm。その後、鎌倉、室町、江戸と、時代が下るにつれて、日本人の身長は、むしろ縮み続けていたのだ。 - 現代の北朝鮮よりも低い:
現代において、栄養状態が極めて深刻とされる北朝鮮の男性の平均身長が、約165cm前後と報告されている。江戸時代の日本人は、それよりもさらに10cmも低かったことになる。
では、なぜ、天下泰平の世と呼ばれた、平和な江戸時代に、日本人の体は、これほどまでに小さくなってしまったのだろうか?
その最大の原因は、彼らの**「食卓」**にあった。
第2章:【最大の原因】犯人は「米」だった?肉を食べない“菜食主義国家”のリアル
江戸時代の日本人の食生活。それを一言で表すなら、**「米と、少しの野菜と、たまの魚」**である。
特に、彼らの食生活を規定した、2つの大きな要因を見ていこう。
1. 仏教思想と「肉食禁止令」の呪縛
日本では、675年に天武天皇が発布した「肉食禁止の詔」以来、表向きには、牛、馬、犬、猿、鶏といった獣肉を食べることが、約1200年もの長きにわたって、国家レベルで禁じられてきた。
もちろん、庶民の間では「薬食い」と称して、シカやイノシシの肉(山鯨)、あるいは彦根藩のように牛肉の味噌漬けを将軍家に献上するような例外はあった。
しかし、現代のように、日常的に、安価に、そして大量に、動物性タンパク質を摂取することは、完全に不可能だったのである。
2. 「白米」への異常な憧れ – 江戸っ子のプライド
江戸時代、精米技術が発達し、**「銀シャリ」**と呼ばれる、キラキラと輝く白米を食べることが、江戸に住む人々にとって、一種のステータスであり、憧れとなった。
農村では、年貢として米を納め、自分たちはヒエやアワ、麦といった雑穀を食べていたのに対し、江戸の町民は、給料として得た金で、白米を買って食べることができた。
彼らの食事は、**「白米のご飯、味噌汁、そして漬物」**というのが、基本的なスタイル。まさに、極端な炭水化物中心の食生活であった。
【結論】
江戸時代の人々が小柄だった最大の原因は、
「体の骨や筋肉を作るための、最も重要な栄養素である“タンパク質”と、骨の成長に不可欠な“カルシウム”が、日常の食事から、絶望的に不足していたから」
なのである。
魚からのタンパク質摂取はあったが、それは毎食食べられるようなものではなく、量も限られていた。
彼らは、エネルギー源としてのカロリーは米から十分に摂っていたかもしれないが、**体を大きくするための「建築資材」**が、圧倒的に足りていなかったのだ。
第3章:【栄養学の結論】なぜ「脚気」が江戸の国民病だったのか?白米の悲劇
白米への過度な偏愛は、日本人に、もう一つの深刻な悲劇をもたらした。
それが、**「脚気(かっけ)」**である。
「江戸患い」と呼ばれた、謎の病
江戸時代の中期以降、江戸の町では、足が痺れ、むくみ、やがては心不全を起こして死に至るという、奇妙な病が大流行した。地方から江戸に出てきた者がかかりやすく、国に帰ると治ることから、**「江戸患い(えどわずらい)」**と呼ばれ、恐れられた。
その犠牲者は、年間数千人から数万人にものぼったと言われる。
犯人は「ビタミンB1不足」だった
この病の正体が、**「ビタミンB1の欠乏症」**であることが判明するのは、遠く時代が下った、明治時代になってからである。
実は、米の栄養素の多くは、糠(ぬか)となる胚芽や表皮の部分に集中している。
そして、ビタミンB1は、我々が摂取した糖質(白米)を、エネルギーに変換するために、必要不可欠な補酵素なのである。
江戸の人々は、玄米や雑穀を食べるのをやめ、栄養素を削ぎ落とした「白米」ばかりを大量に食べたことで、深刻なビタミンB1不足に陥ってしまった。
その結果、糖質をエネルギーに変えられなくなり、体中に疲労物質が溜まり、末梢神経に異常をきたす「脚気」という、**江戸という都市が生んだ、世界でも類を見ない「栄養失調」**に苦しむことになったのだ。
身長が低いだけでなく、多くの人々が潜在的な栄養不足の状態にあった。これが、江戸時代の日本人の身体の、もう一つのリアルな姿だったのである。
第4章:【時代の逆行】なぜ戦国時代より、平和な江戸時代の方が身長が低くなったのか?
第1章のグラフで見た、もう一つの大きな謎。
「なぜ、戦乱の世であった室町時代よりも、平和になった江戸時代の方が、平均身長が低くなってしまったのか?」
この問いに対する答えもまた、**「食生活の変化」**にある。
- 室町・戦国時代:
まだ、肉食への禁忌が比較的緩やかで、武士たちは戦場で体力をつけるため、鳥類(キジ、カモなど)や、時にはウサギなどを**「薬食い」**として食べていた。また、庶民も、主食は米だけでなく、麦や雑穀を混ぜたものが一般的であり、結果として、ビタミンやミネラルを、よりバランス良く摂取できていた。 - 江戸時代:
社会が安定し、仏教思想が庶民にまで浸透する中で、肉食の禁忌は、より厳格なものとなった。そして、前述の通り、都市部では**「白米至上主義」**が広まった。
平和になったことで、食料の安定供給は実現したが、その内容は、栄養学的には、むしろ「劣化」してしまったのである。
この**「タンパク質の不足」と「ビタミン・ミネラルの欠乏」**というダブルパンチが、平和な時代であるにも関わらず、日本人の体を、歴史上最も矮小(わいしょう)なものにしてしまった、最大の原因と考えられるのだ。
第5章:【身長回復の歴史】黒船と“牛乳”が、日本人の肉体改造を始めた
250年続いた、平和で、しかし栄養的には停滞していた江戸時代。
その終わりを告げたのは、浦賀沖に現れた、**ペリー率いる「黒船」**であった。
西洋列強との圧倒的な国力差、そして何よりも**「体格差」**を目の当たりにした明治の指導者たちは、強烈な危機感を抱いた。
「このままでは、国が滅ぼされる」
**「富国強兵」**のスローガンの下、国家の近代化と共に、日本人の肉体そのものを改造するという、壮大な国家プロジェクトが、ここから始まるのである。
革命①:1200年続いた「肉食禁止令」の終わり
1872年(明治5年)、明治天皇が、自ら牛肉を食したことが新聞で報じられる。これは、**「天皇陛下が肉を召し上がったのだから、国民も倣うべし」**という、政府からの強力なメッセージであった。
これにより、約1200年もの間、日本人を縛り付けてきた肉食の禁忌は、公式に解かれることとなった。
「牛鍋」は、文明開化の象徴として大流行し、福沢諭吉も「肉食之説」を著し、国民にタンパク質摂取の重要性を説いた。
革命②:「牛乳」という、白い飲み物の衝撃
肉食以上に、日本人の体格改善に劇的な影響を与えたのが、**「牛乳」**の普及である。
当初は「牛の乳など気味が悪い」と敬遠されていた牛乳だが、政府は学校給食に導入するなど、その栄養価の高さを国民に啓蒙し続けた。
牛乳は、それまでの日本人の食事に絶望的に不足していた、**骨の成長に不可欠な「カルシウム」**と、**良質な「タンパク質」を、同時に、そして安価に摂取できる、まさに「完全栄養食」**であった。
この**「肉」と「牛乳」**という、二つの強力な援軍を得て、日本人の身長は、ここから驚異的なスピードで、V字回復を遂げていくのである。
【明治以降の身長の推移】
- 明治時代(後期): 約160cm
- 大正〜昭和初期: 約162cm
- 戦後(昭和30年代〜): 約165cm
- 現代: 約171cm
わずか100年余りで、15cm以上も平均身長が伸びる。これは、人類史上でも類を見ない、劇的な身体的変化であった。
第6章:【比較人類学】世界から見れば、日本人はまだ“小さい”のか?
明治以降、驚異的な成長を遂げた日本人の身長。
しかし、21世紀に入り、その伸びはほぼ完全に止まっている。
では、現代の日本人は、世界的に見て、どの程度の身長なのだろうか?
【2024年版・世界男性平均身長ランキング(抜粋)】
順位 | 国名 | 平均身長 |
1位 | オランダ | 183.8cm |
9位 | ドイツ | 181.0cm |
27位 | スウェーデン | 180.0cm |
38位 | アメリカ | 177.1cm |
57位 | 中国 | 175.7cm |
62位 | 日本 | 172.0cm |
64位 | 韓国 | 171.5cm |
(※調査機関により順位は変動)
このデータが示すように、アジアの中では比較的身長が高いグループに属するものの、欧米諸国と比較すると、現代の日本人男性は、依然として小柄な部類に入ることが分かる。
この差の最も大きな要因は、やはり遺伝的な骨格の違いと、長年にわたる**食文化の違い(特に乳製品の摂取量など)**にあると考えられている。
第7章:【未来への警鐘】飽食の時代に、我々が失いつつあるもの
江戸時代の「白米中心の栄養失調」から、わずか150年。
我々は、世界中のあらゆる食材が手に入る「飽食の時代」を生きている。
しかし、その一方で、現代の我々は、江戸時代の人々とは**全く別の種類の「栄養問題」**に直面している。
- 新型栄養失調:
カロリーは過剰に摂取しているにもかかわらず、コンビニ食やファストフード中心の食生活によって、ビタミンやミネラル、食物繊維といった、体の調子を整えるための必須栄養素が、慢性的に不足している状態。 - 生活習慣病の蔓延:
かつて「江戸患い」が脚気であったように、現代の我々は、肥満、糖尿病、高血圧といった、**過剰な栄養が生み出す、新たな「現代病」**に苦しんでいる。 - 食の安全性への不安:
食品添加物、農薬、遺伝子組み換え…。食のグローバル化は、我々に豊かさをもたらした一方で、その「安全性」に対する、新たな不安を生み出している。
江戸時代の人々が、白米という一つの食材に偏ったことで、健康を損なったように。
現代の我々もまた、手軽さや美味しさばかりを追求し、食の本質的な意味を見失うことで、気づかぬうちに、自らの体を蝕んでいるのかもしれない。
さいごに:あなたの体は、あなたが食べたものでできている
江戸時代の人々の、平均身長155cmという小さな体。
その歴史を紐解く旅は、我々に、一つの普遍的な真実を、改めて突きつけてくる。
「You are what you eat.(あなたは、あなたが食べたものでできている)」
我々の身体とは、遺伝子という設計図を基に、日々の食事という名の「建築資材」を使って、毎日、少しずつ、作り変えられていく、壮大な建築物なのだ。
江戸時代の人々は、タンパク質やビタミンという、重要な資材が不足したまま、家(体)を建て続けなければならなかった。
一方、現代の我々は、あまりにも多くの、そして時には質の悪い資材に囲まれ、どの資材を選べば、健やかで美しい家を建てられるのか、その選択に迷っている。
歴史を学ぶとは、単に過去の事実を知ることではない。
それは、過去という巨大な鏡の中に、現代に生きる我々自身の姿を映し出し、未来をどう生きるべきかの、ヒントを見つけ出す、知的な営みなのである。
あなたの、今日の食卓。
その一食一食が、あなたの未来の身体を、そして、次の世代の身体を形作っている。
その事実を、どうか、忘れないでほしい。
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